バイラオール |
| 本名: Vicente Escudero Uribe |
| 生まれ:1887 Valladolid |
| 没年: 1980 |
「ビセンテ・エスクデロはいかつい容貌のカスティーリャ出身の男で、踊り手の模範だった。冗談も言わない程真面目だったが、しっかりした技術があり、踊りのマンネリズムや頼りなさを取り除こうとしていた」 アントニオ・フェルナンデス-シッド
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ビセンテ・エスクデロはスペイン屈指の踊り手の1人で、1929~1936年にかけて米国、フランス、英国、キューバ等で大成功を収めていた時期には、世界一とも言われた。この時期は同時に彼が前衛芸術(キュービズム、シュルレアリズム、ダダイズム等)に関わるようになった時期で、特に文学、絵画に関心を持ち、それらの要素をバイレに取り入れることができた。アーティスト人生を通じて国際的な舞踊の大舞台で公演を行い、中でも大成功したのは「恋は魔術師」(1934)や「バイレス・フラメンコス・デ・バングアルディア(前衛フラメンコ舞踊)」(1930)だった。
ビセンテ・エスクデロのバイレはカスティージャ人の性格の反映か、常に慎み深く、シンプルな踊りだった。そして彼はフラメンコ舞踊に浸透していたバロック様式や即興を取り入れることや、規範を繰り返しただけの機械的なバイラオールに反対していた。彼がバイレに上手く取り入れたキュービズムは、簡素さを求めた努力の成果である。1951年にフラメンコ舞踊の十戒を発表し、この中で彼は純粋にフラメンコを踊るために必要な条件を伝えている。まず彼のイデオロギーでとても重要なことは、男性舞踊を取り巻いていた女性化の傾向を断ち切るために、"男らしく踊る"ことだった。また彼自身が著した2冊の著作「ミ・バイレ(私の踊り)」(1947)、「ピントゥーラ・ケ・バイラ(踊る絵画)」(1950)や講演においても舞踊に関する意見を述べている。もう1つの功績はシギリージャを踊った最初のバイラオールであると言われるが、その真偽はかなり議論された。だが彼のアルテの特長である簡素さや慎ましさをこのパロに定着させたのは事実である。
また彼のアーティスト人生で言及すべき時期がある。それは画家としての時期で、ミロからもかなり評価を受けたものの、彼にとってそのイラストはバイレの草案に過ぎなかった。俳優もこなし、ハリウッドやスペイン映画に何本か出演した。主な作品は1961年にカンヌ映画祭で特別賞を受けた「カスティージャ・エン・フエゴ(炎のカスティージャ)」(1958-1960)や、マリオ・カムス監督の「コン・エル・ビエント・ソラノ(東風と共に)」(1966)である。またカンタオールとしても、「アントロヒア・セレクタ・デ・カンテ・フラメンコ・アウテンティカメンテ・プーロ(カンテプーロ選集)」というディスクを残した。この作品から彼はコンパスに熟達し、あらゆる曲に関して豊富な知識があったことがわかる。 |
| Vicente Escudero (ビセンテ・エスクデロ)
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Vicente Escudero (ビセンテ・エスクデロ)
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