“私の踊りはテクニックとアートのバランスを見つけること”

フエンサンタ・ラ・モネタ インタビュー

“デ・エントレ・ラ・ルナ・イ・ロス・オンブレス(月と男たちの間から)”という不思議なタイトルの由来は?

これはとても大切に作りました。テーマは現在の女性です。いろいろな役割を演じる現代の女性たちです。家庭の主婦、母、妻、企業家、フリーランス、アーティスト・・ ・わたしはこの世界で生きているのですが。一人の女性にとって日常生活とアーティストとしての生活を両立していくのはとても大変なことです

毎日闘いながら生きている女たち。素敵な日もあれば苦しいときもあります。元気なときもあれば、その反対もある、気分もその時々に変わっていく。付き合う男によって、またその愛の形によって変わっていきます。控えめな女性のときもあれば、野心的な女に変わるときもある。何か足りないと感じ、恋愛がうまくいかないと嘆く女もいる。また人生に満足している女性もいます。

これをそれぞれ異なった舞台空間で表現しました。アンヘレス・モラの詩、テレサ・ゴメスの朗読、エバ・ドゥランのカンテ、ここに私の踊り、振り付けが入るわけです。これは女性たちによって作られた女性たちの作品です。 舞台監督はハンゼル・セレサ、音楽はミゲル・イグレシアスです。

ラ・モネタの中にはどんな女性たちがいるんですか?

ラ・モネタは別に付き合う男性に忠誠を尽くす女でもないし、でも多分今言ったすべての女性たちが少しずつ入っているような気がしますね。でも彼女たちの誰か、特定のタイプではありません。なぜなら現代に生きる女性たちはもっと様々な顔を持っているから。

ラ・モネタは女性として、アーティストとして、祖母の世代の女たちより好きなことができます。まだわたしは若く、先が長いのですがはっきりした考えを持っているとも思います。そしてやりたいことをやりたと言える強さがあります。わたしはアーティストとして生きたいと思いました。それは日常生活とうまく両立していかなければなりません。一つのことを別のもののの犠牲にしないように。

自分を普通の人だと思いますね。働くことが好きで、今もっているものはすべて自分の労働から生まれたと言うような、労働者階級の女性です。多分私はそんな女性。そしてこんな女性こそ“デ・エントレ・ルナ・イ・ロス・オンブレス”で表現したかった女性の原型です。月の部分は夢、今日ではあきらめる必要なんか全くない自分のしたいこと、の象徴です。

フラメンコの世界はどうですか?

フラメンコではカルメン・アマジャのように男性と肩を並べてやりたいことを堂々とやり遂げた女性たちがたくさんいますよ。 カルメン・アマジャ はそのパイオニア的存在です。彼女は主婦であったし、妻でありすばらしいアーティストでした。そして自分のアートを高めるために闘った人です。

また自己実現がかなわないままに終わってしまったおおくの女性たちからもこの作品の想を得ました。道の途中で尽きてしまったアーティストたち、一フラメンコ愛好家として甘んじたアーティストたち、 プロへの壁を破らずに。あふれる才能を持ちながらそれを世界に向かって表現できなかった、あるいはできない女性たち。

この舞台は彼女たちへのオマージュ?

私の手中にある武器を使いました。それはフラメンコ意外になかった。わたしはフラメンコダンサーで、私のアイデンティティーはその中にあるからです。マラゲーニャ、グアヒーラ、ファルーカなど私が踊れるパロを使って表現したかった。その他舞台監督であるハンセル・セレサのアイデアもここに加わってきます。

それぞれの踊りに名前がついています。マラゲーニャ・コン・アバンドラオは“カル”、この女性は屋上でシーズを干しています。水、しろをイメージさせる女です。次のグアヒーラは“ペルデドーラ(敗者)”。人生でやりたいことをできなかったと嘆く女です。この女はファルーカの“スエニョス(夢)”では解放されてマレーネ・デートリッヒのようにタキシードで踊りに行くんです。

そしてソレア“エントレ・サバナス”、シギリージャは“レエンクエントロ”ですこれらはとても強い曲・踊りでなくてはならないものです。ソレアでは夢を見た後現実に引き戻されたシーンです。別の人生があったはずだ、今見た夢のような・・・という思いにとりつかれるんです。

シギリージャの“レエンクエントロ”で舞台は終わるんですが、自分の人生での誤りを認め、今の現実を受け入れようという心境に達する女性を表現します。

ここでこの作品のタイトルともなっている“デ・エントレ・ルナ・イ・ロス・オンブレス”をエバ・ドゥランが歌います。それに“ア・ソラス”という振り付けがつきます。この2つはこの作品の通低音楽のようなもので、作品のテーマと強くかかわってきます。

ここにフラ・デルス・バウス創立者のハンゼル・セレサが加わって実に前衛的、現代的な作品になっていますね。

フラメンコは革命的に変遷してきました。時間とともにどんどん変わっていく芸術です。固定観念は前進を妨げます。女性の踊り、男性の踊り、ヒターノかパジョか、現代風か伝統的か、純粋フラメンコかフュージョンか、こんな論争は昔のものです。フラメンコはもっと自由なもの。それだからこそ世界の果てまで届くんです。 フラメンコは宇宙的なもの、一つの世界です。

伝統的にやってもフュージョンをやってもフラメンコというのはもともと現代的なものなんです。伝統的にやってもフュージョンをやってもフラメンコというのはもともと現代的なものなんです。他のアートのよさを取り入れてさらに豊かにしてはいけないということはないでしょう。ここでアーティストとして気をつけなければならないのは十分に準備すること、深めていくことです。きちとした考えなしに、作るために作る、フュージョンをするためにフュージョンをする、新しいものを作るために新しいものを作る、ということではないんです。

この作品に中でのあなたの踊りはどうですか?

とてもいいほうに変わりましたね。伝統的スタイルをがらっとかえるために自分も変えなければなりませんでした。踊りを吟味、検討してさらに深めていく作業でした。自分を探すこと、もう一度自分を発見すること、自分の中からいろいろなものを出していくこと。そしていつもラ・モネタでありつづけことがとても大切でした。自分を欺いて物を作ることはできませんから。これはアーティストにとってとても大切な作業だったと思いますね。なぜなら振り付け、舞台美術で新しい面を開拓したからです。でも私だけのもの、ラ・モネタの踊りはないも変わりません。もっと成熟しましたが、変わったわけではありません。

あなた自身のものとはなんですか?

ラ・モネタの踊りは加工のない自然な踊り。強さ、直感的、深み、ちょっと悪い子風のところもあって、野生的。ラ・モネタの踊りは自然でアートとテクニックのバランスを追求しています。

手の動きとサパテアードどちらに重点をおいていますか?

手と足の動きの調和を求めます。必要以上にサパテアードをすることもないし、体の動き、ブラソに偏る必要もありません。フラメンコの踊りには緩急が求められます。絶妙のタイミングで必要な動きが求められます。瞬間瞬間の表現、それを彩る繊細さです。

踊りは絶妙のタイミングで必要な動きが求められます。瞬間瞬間の表現、それを彩る繊細さ。踊りではギターを聴くときもあるし、自分がしゃしゃり出ないでカンテに中心になってもらうときもあります。またここは踊りにお任せ、と言うときもあります。ここではサパテアード全開ですね。緊張が高まったりまた緩まったりの波のようなものがあるんです。 最高まで高まってまた波が引いていくような感じ。それはどんどん書き続けられる円のようなものです。

どうしてフラメンコを始めたんですか?

どうしてこうなったのかよくわかりません。多分生まれつき自分はフラメンカなんだと思う。家では誰も踊れと強要しませんでしたが小さいころから踊り手になりたいと思っていました。そして少しずつこの世界のことを知っていったんです。サクロモンテの洞窟で私の基礎が出来上がったんです。

近くにあったのはサクロモンテの洞窟。そこで踊り始めました。グラナダを小さく感じ、その後セビージャ、マドリッドに行きました。踊りながら、練習しながらフラメンコ探しの旅をしてきた、と言う感じですね。

サクロモンテの洞窟で踊るのはどうですか?

全部野生的という感じ。ここは私の基礎を作ってくれたところでとても懐かしく思い出します。毎晩が試験のようなもの。毎日お客さんが変わって、狭いところで踊らなければならないし・・・。こう踊りなさいなんて規則はありません。10歳で毎晩お客さんの前で踊っていました。本番で踊りながらどんどん自分を出していくことを学んだんです。